粛粲寶 米寿の個展案内状(茨城県坂東市 万蔵院)が出てきました!!
粛粲寶は中山青空子様を頼って、最晩年に東京都杉並区久我山から茨城県猿島郡境町に移住しました。亡くなるまでの数年間を過ごした茨城で、地元のファンを沢山獲得したとのことです。
これは地元のお寺で作品展を行った時の案内状で、和紙にシルクスクリーンで印刷したものとの事ですが、何とも趣きのあるものに仕上がっていますよね。
かなり横長なので、きっと巻物にして配られたのでしょうね。
粛叟嬰■童心礼讃図 (■は糸に亥)
口上
御縁をいただき
このたび
万蔵院様で
さんぽう
無装作展を
ほんの少々
米寿になって
やっとこさ
人なみとなりました
御高覧下さい
以上
粛散人
書印
右の老人が粛粲寶自身を描かれたものですね。
眼鏡にベレー帽、杖をついています。(晩年はこんな感じだったのかな?)
左は童子ですね。
凄く魅力的な絵だと思いませんか?
画題の解説
「嬰」は「赤子」のこととなります。
「■(糸に亥)」
この字を調べてみたのですが、ありませんでした。
それで、困り果てて中山青空子様に相談をしてみました。
すると、中山様も既に調べていらして、やはりそれは粛粲寶が造った字であろうとのことでした。
「亥」は「豕(ぶた)」の象形文字であります。
「糸」は余命幾ばくも無い、糸のように細い命のことを意味し、「亥」は「ブタ」、つまり「頓死」であろうとの説でした。「頓死」とは「急に死ぬ」ことを云います。
よって、画題の意味するところを纏めてみます。
余命幾ばくも無く、いつ死んでもおかしくない粛粲寶老人にとって、童子は生命の力強さを感じる存在で、それだけで羨ましく有り難いものだ。。。そのような意味だと考えられます。
しかし、絵だけ観ると老人が子供に手を合わせているだけの図で、ユーモラスで温か味のある絵になっています。
このように粛粲寶の絵は一見はわかり易いのですが、実はあれこれと解読して漸く意味がわかるという、とてつもなく深い絵を描く画家なのであります。
案内の文章にも味わいがありますよね。
万蔵院は茨城県坂東市にあります。境町のすぐ隣の自治体ですが、坂東市と境町の境界あたりに建つ真言宗豊山派のお寺となります。このお寺は粛粲寶の本画をいくつか所蔵しているそうです。
粛粲寶が茨城県猿島郡境町に移住したのは、平成元年(1989)です。
「米寿となった」と書いてありますが、粛粲寶の年齢表記はかぞえだと聞いておりますので、
満年齢で87歳。まさに平成元年に満87歳でしたので、移られてすぐの作品展かと思われます。
ちょっと知り合いの画家さんから、こんな和紙の巻物の案内状を手渡されたら、私ならそれだけで個展に駆けつけてしまいますね。
それほど魅力的な案内状だと思います。
中山青空子様、貴重な資料を有難うございました。