明治座 三木のり平公演のパンフレットに粛粲寶の絵が使われていました!!
日本橋浜町にあります明治座。
現在の建物は平成5年に立替られたものとなります。
色々調べていて、「いつの間にこんな高層ビルになったんだぁ。。。」と思いました。もうウン十年も前の事ですが、立替前の明治座の前は何度も通りました。明治座からすぐの浜町公園の前にお気に入りの喫茶店があり時々行っていたもので。。。幟が林立していて風情があったのを記憶しています。
粛粲寶が描いたのは三木のり平が座長の公演時で、手元にあるのは2回分のプログラムとなります。
三木のり平7月奮闘公演 「喜劇四谷怪談」 昭和51年(1976)7月
出演者:京塚昌子・水谷良重・西村晃
京塚昌子さん、、、懐かしいですよね。ふくよかで、「THE昭和のお母さん!!」ですよね~
かなり前に亡くなってしまわれましたが。。。
水谷良重さんは、現在はお母様の名を継いで2代目水谷八重子として活躍しています。
西村晃さんは私には水戸黄門のイメージが残っています。こちらももう亡くなってしまわれました。
画題:炎希兜戯(?)
「炎」と「希」がちょっと怪しいです。。。
「兜」は「かぶと」ですので、お化けスイカの事を指すのでしょうね。
お化けスイカを童子が運んでいます。
演目が「喜劇四谷怪談」というところから、お化けスイカなのだろうなと思います。
落款:粛
三木のり平8月奮闘公演 「三木助恋ごよみ」 昭和52年(1977)8月
出演者:水谷良重・高田美和・西村晃
高田美和さんは往年の時代劇スター高田浩吉の娘さんですよね。昔よくTVで見かけた気がします。
画題:三笑三童
3人の童が笑っています。喜劇舞台らしさが伝わってきますよね。
弊館には「三笑」という画題の絵が2枚ありますが、いずれも童ではなくお爺さんが笑っている絵です。
落款:粛・艸民粲宝
三木のり平 大正13年(1924)-平成11年(1999)
ご存知でしょうか?
桃屋のCMでの鼻眼鏡のアニメキャラが三木のり平です。
名前にまつわるエピソードが面白いので、記しておきますね。
東京市日本橋浜町生まれだそうで、それこそ明治座のお膝元ですね(^^;)
本名:田沼則子
1944年頃、徴兵検査が一向に来ないことを不思議に思い区役所へ行ったところ、本名の「則子(ただし)」を「のりこ」と読み間違い、女性と思われていたことが判明。慌てて書類を作成した為、召集令状が届いたのが終戦の5日前で、入隊予定日が終戦後の8月18日だったとのことです。
日本大学法文学部芸術学科卒。つまり日芸卒ってことですね。画学生だったというのが意外です。。。
三木鶏郎グループに入り、コメディアンを目指す。当初は本名で舞台に上がっていたが、三木鶏郎の提案により「三木則子」とした。しかしプログラムの印刷業者が「則子」の「子」の字を「平」と読み間違えた為、プログラムには「三木則平」と表記されたとのこと。その後、「則」は固いから平仮名表記がいいよとの助言もあり「三木のり平」となったそうです。
「スターは三船、役者はのり平」と言わしめる程の演技力で、大衆に認知されていました。
桃屋のアニメーションCMでは、キャラクターのモデル及び声優を40年務めたそうです。
風貌や芸風が似ていることから、大村崑と間違えられることが多かったが、のり平は大村を可愛がっていたそうで、鼻眼鏡の芸も大村に譲っているそうです。
自らも絵を描かれた三木のり平ならば、自分の公演のプログラムの絵も何でもいい、誰でもいいではなかったのではないでしょうか?粛粲寶と三木のり平との縁はよくわからないのですが、粛粲寶と当時の明治座の社長とは非常に親しかったと聞き及んでいます。
三木のり平の明治座での公演は、この2回以外にもまだまだ行われていました。粛粲寶が描いた他のプログラムもあるのかもしれません。情報をお持ちでしたら是非宜しくお願い致します。
中山青空子様、貴重な資料を有難うございました。