富山にあった北陸夕刊新聞社刊の「北陸夕刊」に粛粲寶のエッセイとスケッチが連載されていました!その2
その1からの続きとなります。
まだの方は、その1の方からお読み下さいませ◎
北陸夕刊新聞社 昭和29年12月不明
「師走の富山」④ えと文 粛粲寶
鮭の新巻
冬といえば越中の鰤、貧乏絵描の私たちには滅多に口に入らぬがせめてスケッチでもと思ったところ、今年も暖冬とかで一、二尾店先にノビているだけで絵にならぬ。
その鰤の代用品というわけではないが、ブラブラと首を吊るされている鮭は面白い。
運転手さんは荒巻という。新巻といえば北海道で、鼻がグンと曲っている。どうも越中のは人種いや魚種が違うのかなかなかよい。
沢山首を吊っているとただみたいな錯覚を起こすが、一尾千円もするとのこと、これも矢張り貧画工には縁の遠い代物だ。そのうち楊村先生からせびることにしよう。
確かに富山の冬のご馳走としては、寒ブリがありますよね。
脂ノリノリの寒ブリの刺身、最高に旨いです。
新潟県人には馴染み深い村上の塩引き(地元の発音だと、「しょーびき」と云うようです)ですね。塩引きは頭が下、尾が上にして干しますが、こちらは荒巻鮭ですので頭が上になっていますよね。
北陸夕刊新聞社 昭和29年12月15日
「師走の富山」終 えと文 粛粲寶
總曲輪通
この繁華街はぜひ描けとの注文。
賑やかに飾った店舗、蛍光灯をつけたアーケード、別に何処といって富山を直ぐ思わせる特長が無い。反魂丹の看板を見つけたが、これはどうも特殊な店の宣伝になる。
雨の中をあちこちして見つけたのがこれだ。
この先に電車が通り、この向うに中央通りという看板も上がっている。そしてお天気ならその切目に立山ものぞくという。立山があって總曲輪、中央通りとあれば富山に相違ない。これにする。
困ったのは見物人だ。田舎だから珍しいのか、それとも場所柄で物見高いのか、スケッチブックの上へニュッと顔をだしてのぞきこむ。五分で逃げだした。人物は自動車の中で書き足す。乱筆多謝というところ。
これで大体終わる。日も暮れた
自動車で、スケッチして歩くのは今初めて、恐らくこれからもあるまい。
矢張りスケッチは足で探さなきゃいいものは見つからない。
明日は早朝帰らなきゃならぬ。雨は降る。時間はない。歩いているひまなどもちろんない。それでも初めての富山の印象はクッキリ残った。
先生の所へ帰ったら「あれをまず夕刊にのせる。そのあとを東京へ送るから版画にしろ」との御命。ウへー。そんならもっと別なところもねらうのだったが―。
その夜うれしい手紙を見せてもらった。
二日の個展を見て「触れ難い美に触れる機会を作ってください・・・云々」と先生あての御礼状だ。
満足し切った心を抱いて、そしてこのスケッチが紙上に掲げられる日を楽しみに、印象深かった師走の富山と別れる。
総曲輪通、、、そうがわどおりと読むようで、今でも富山の繁華街です。
アーケードが特徴の様で、新潟の古町と同じですね。
雪国の繁華街にはアーケードの整備が必須なのでしょうね。
かつて富山城の外濠(曲輪)だったところから、このような名前がついているようです。
「曲輪」って「くるわ」って読むのじゃなかった?と調べてみたのですが、「総曲輪」は確かに「そうぐるわ」と読むようです。余り云い易くなく「そうがわ」って聞こえるからいつの間にかこうなったのかなぁ??
これらのスケッチを元に起こした版画、見てみたいものですね~~~
何処かに眠っていないかしら?
中山青空子様、貴重な資料をお貸し下さり有難うございました。