展示作品紹介『仙童三祿』
現在展示中の粛粲寶の作品の中でも、絵柄と画賛が一致していて、お客様に解説をしますと非常に納得して戴ける作品がこの『仙童三祿』です。
三色の鹿と三人の童がいて、色味も綺麗でただ観ているだけでも親しみが湧く作品なのですが。
「三祿」の「祿」は「俸禄」の「禄」。
「鹿」は「ろく」とも読みますので、ふたつの意味の掛け言葉だと思われます。
実はこの作品と同じ画題のそっくりな絵が弥彦神社の宝物殿に展示してあります。
そちらの絵も数年前に実際に観て参りました。弥彦の作品には「昭和五十年春 謹■」と書いてあり、弥彦神社に寄贈したものとわかります。
弊館のものには「昭和五十年 中陽」と書かれてあります。中陽とは陰暦2月のことを云いますので、弥彦神社に納める作品の前後に描かれたものなのでしょうね。
昭和50年、粛粲寶はかぞえ74歳の年となり、一番脂ののっていた頃の作品となります。
弥彦神社の絵の画賛は1種類。弊館のものには2種類の画賛が書かれています。
【共通する画賛】
鹿一千一年為蒼鹿
又五百年化為白鹿
又五百年化為玄鹿 出典:「述異記」
千年生きた鹿は青鹿となり、さらに五百年生きると白鹿となり、もう五百年生きて二千歳ともなると黒鹿となる。
まさに画賛通りの絵を描いているのです。
画賛の意味がわかると絵の観え方もちょっと違ってきますよね。
また、粛粲寶の絵を観る愉しみに、非常に多くの落款(らっかん)と遊印があります。
「どれだけ彫ったんだ?」と云う程あって、全容解明が出来ないレベルとしか云えません。
遊印は作家の座右の銘や禅語等が多く使われます。
粛粲寶の場合は中国古典の教養がありますので、ほとんどが禅語ですね。
ある時期以降の印は、考えるのは2人でやり、実際に篆刻したのは唯一の弟子であり知友である中山青空子様だとご本人より伺っています。
「無欠無餘」(むかんむよ)と彫ってあります。
「欠けること無く余ること無し」と云う意味となります。
左上と右上が「無」の字なのですが、同じ文字が入る場合、決して同じ形にしていないことに、多くの遊印を調べている時に気付きました。
また、遊印同様で落款も非常に多く存在します。
この絵には落款が2つ捺されていて、「粛」と「日本白徒粲宝」と彫ってあります。
瑞々しく、ユーモアに溢れ、それでいて高い教養の裏付けによって描かれた孤高の日本画家粛粲寶の作品を是非、生でご覧にいらして下さい。