展示作品紹介『嘉童仙胎』
鶴と童が戯れる様子の絵。
粛粲寶は生涯に多くの丹頂鶴を描いています。
画題の「仙胎」は鶴の異名で、他には「仙鶴」「仙禽」「仙各」「仙羽」「胎仙」等あります。瑞祥のしるしとして鶴が長寿だという概念は紀元前まで遡るのだそうです。
【画賛】
自調則眞情自笑
以調鶴之柱
かなりしらべたのですが、出典も和訳もわかりませんでした。
何となくのニュアンスで解釈してみて下さい<m(__)m>
制作年齢は「耄(ぼう)又六」とあり、これはかぞえ76歳に描かれたものとわかります。
【遊印】
「箕踞艸心」(ききょそうしん)
「箕踞」とは両足を投げ出して座ることを云います。粛粲寶が絵を描く時の座り方だったのでしょうか?
「箕」は訓読では「み」となり、農作業において穀物を入れて不要な小片を吹き飛ばして選別する古くから用いられてきた道具の事を云います。穀物と塵芥を振り分ける「箕」は、「この世と異界とを振り分けるものの象徴」ともされていたようです。
粛粲寶は、長く東京の杉並区に住われていたのですが、そこでのアトリエのことを「箕居庵」と呼んでいたようで、この言葉が入る絵がいくつか存在しており、神聖なアトリエには粛粲寶の奥様ですら滅多に立ち入る事は出来なかったのだと聞いています。
「艸」は「草」のことですが、「艸心」を調べてみたのですがわかりません。
でも何となく、こだわりのない心みたいなニュアンスなのかなぁと。
そして、小さ過ぎて見逃していた印をこのブログを書くに当たって写真撮りをしていて見つけました(汗)
鶴の尾っぽの上の「嘉」の字の右上にちょこんと赤いヤツです。
「游目」(ゆうもく)
「游目」とは目を動かしていること。隠微なものや、遠くにあるものを見落とさないように視力を使うことだそうです。
印の判読に中山青空子様のお力を借り、その後意味を慌てて調べたりしました。
【落款】
「粛」と「日本艸民粲宝」
鶴と童の大きさの対比が、児童画のようでもあって、実は計算された構図なのでしょうね。
生き生きとした作風が、気持ちを明るくして貰えるそんな1枚です。
是非、ご覧にいらして下さいね。