2020/05/29 NEWS

粛粲寶の賛を読む・・・「翫止水」

この絵のタイトルの「翫止水」は「がんしすい」と読みます。「翫」は「もてあそぶ」という意味となります。

鶴が流れを止めて水浴びをしている絵なのだろうとまではわかります。

 

粛粲寶の研究を開始して早や7年目となりました。早い段階で茨城に中山様という粛粲寶のお弟子さんが健在であるということをネット上で知りました。研究を開始して半年目頃に思い切ってお電話を差し上げ、お話を伺いたい旨を伝えました。初対面で1~2時間もお話し出来れば上出来かと思って出掛けて行きましたが、5~6時間息も切らさず粛粲寶の事についてお話し頂きました。その時に言われた事で一番重要なのは「賛が読めないと、絵の半分しかわかった事にはならないよ」という事でした。それまでの半年は、絵と画題の解釈は進めていましたが、賛はどうせ読めないからと気にも留めていなかったのでした。

それからは所蔵絵画の賛が、誰のどんな漢詩なのかを探り当てる為に図書館に通う日が続きました。

現在でも弊館が所蔵する粛粲寶絵画の全部の漢詩を特定出来てはいませんが、90%位は解読したかと思っています。そして、絵によっては最初に漢詩ありきで、漢詩に書かれた世界感を絵に落とし込んでいるものがあることにも気付きました。この絵などはその典型かと思います。

 

動者楽流水 静者楽止水 利物不如流 鑒形不如止 凄清早霜降 淅瀝微風起 中面紅葉開 四隅緑萍委

広狭八九丈 灣環有涯涘 浅深三四尺 洞徹無表裏 浄分鶴翹足 澄見魚掉尾 迎眸洗眼塵 隔胸蕩心滓

定将禅不別 明與誠相似 清能律貧夫 淡可交君子       「翫止水」白居易

 

活動的な人は流水を楽しみ、静寂を愛する人は止水を楽しむ。万物に利沢を施すは流水に如くものはないが、己の姿を鑒みるには、止水に如くものはない。今や時正に秋に入り霜も降り風も寒く、池の中には紅葉が燃え、四方の岸には緑萍が枯れている。池の広さは八九丈もあって環りて灣をなし、深さは三四尺ばかりで底まですきとおって見える。その浄さは鶴の足を翹げるのがあ明らかにうつり、魚の尾を掉かすのも見える。一たびこの池に対すれば眼の塵も洗われ心の滓れも拭われて、禅定に入り至誠に達したと同じ精神状態になる。

 

この漢詩は白居易の詩です。

粛粲寶が描く丹頂鶴はどれも魅力的なのですが、この「翫止水」の鶴は取り分けて漫画っぽく、なんともおおらかです。しかし、賛を解読してみて、万物を潤すのは流水であるが、止まった水は己の姿を鑑みるのに有用だというこ事が書いてあります。

所蔵作品の中で、私の好きなベスト3に入る絵です。

 

今では中山様所有の絵画の賛で出所がわからないものを調べて貰えないかと依頼されることもあります。お互いに良好な協力関係で、深い絆で結ばれていると思っています。

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