2017/11/12 BLOG

国境なき美術展 展示作品のご紹介 

No.622

 

「国境なき美術展」いよいよ始まりました。

日本画家 近藤幸夫氏の作品が全館に展示されています上に掲げた作品のタイトルは「群像Ⅰ-鏡」といいます。

近藤氏自身のコメントが添えられていますので特別に全文を掲載させて頂きました。

日本画家 近藤幸夫の思いを感じてみてください。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・数え切れない黒いテントと難民の人々を私は見た。その光景は地平線まで続いていた。1975年、インド東部の街カルカッタ(現在の名称はコルカタ)の郊外。

その群像を写生しようと地面に腰を下ろしてスケッチブックを広げた。しかし、近づいてくる人たちが迫ってくるようで、写生の途中で逃げだした。あとで筆箱を忘れたことに気付き、翌日その場所へ再び行った。一画に政府の事務所があった。中は何もなく、ひとりだけいた職員が私の筆箱をさし出した。座り込んだ私を心配し近づいてきた人たちを、襲われると私が勝手に勘違いしたらしい。 「彼らは何も持っていないが泥棒ではない」と言われ、自分が恥ずかしかった。彼は苦笑し 「ここで絵を描く人はあなただけだ」と言い、双眼鏡を貸してくれた。私は再び写生を続けた。

1年にわたる旅でバングラデシュの難民、インドの貧困街に生きる人たち、パレスチナ難民キャンプの子どもたちを現地で写生した。帰国後、その画をもとに大画面に人々を描いた。

2015年秋、ロシア巡回展で展示するため、長い間しまってあった作品を取り出した。状態を確認しようと表面に手をあて滑らせた。その時、波の打ち寄せる音が聞こえた。あるニュースの映像が蘇った。海岸に漂着したシリア難民の子どもの死体だった。40年前、あのとき私が 描こうとしたのは目にした光景だけではない。現実の世界を直視し、人間とは何かを問うことだった。難民となった人たちが私に描かせてくれたのは、こんな理不尽な世界がいつまでもあってはならないと願ったからだ。しかし、世界中で難民は増え続け、現在では6000万人を超えている。私は画家として絵を描いてきただけだった。人として何をし何をしなかったのか、難民の作品の前で胸が絞めつけられるようだった。

作品の表面のひび割れを銀でつないだ。砕けようとしている鏡のように。鏡の中の人々は 旅で描いたあの時の人々ではない。今、この社会を映す鏡を観ている人、その友だちや家族、 そして、私自身だと気づいた。

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近藤幸夫氏のお許しを得て全文掲載させていただきました。この作品は手で触れることができます。

ぜひ作品の前に立ってみてください。

 

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