粛粲寶美術館。茨城県猿島郡境町。粛粲寶終焉の地で、唯一のお弟子さんである中山正男氏が住まう境町。 この地には中山氏の壮大な粛粲寶コレクションの他、近隣のお寺や民家に沢山の作品が存在している。 その名の通り千葉県と埼玉県と茨城県の「境」にある境町。私はいつも埼玉県の東武・・・(続きを読む)
弊館で所蔵しております粛粲寶(新潟市西堀生まれの日本画家)は、花鳥風月、人物画などで独特の画風を構築し、高い人気を博しました。帝展、院展での入選を果たした後に、一旦絵から離れ、奈良の古寺で下働き等をしながらの寄食生活を約4年程していました。その時に得た中国古典の教養や仏教への造詣・・・(続きを読む)
倉持の作品は脱物質的だ。以前は、画面が装飾的な模様で埋め尽くされた作品を制作していた。制作の意図を聞いた時、頭の中に図像がはっきり見えるので、自分はただ描き写すだけだ、という。 作家が作品を制作する際、イメージが事前に明確に視覚化されることは実は希なことである。イメージ・・・(続きを読む)
約10年前に祭りや年中行事の構成や装飾-特に山鉾屋台の造形美に魅せられて、ライフワークとして新潟県内に取材し描いています。長年、建築・まちづくりに携わってきた技術を生かし、俯瞰的に湊町新潟の祭りを捉えた「湊町新潟遊楽図」、異時同図法やデザイン的な配置に空想も織り交ぜたパノラマの「・・・(続きを読む)
「無頼な者、つまり頼みにするところが無い僕が、誰にも頼らない覚悟が整わないまま、嘲笑われ生きている意味をなんとかして見つけたいと、願い活動しています。ここでは、過去の個展でいただき気付きの手がかりになった知人からの評論(抜粋)を紹介して、今展の形容といたします。(玉川勝之・インチ・・・(続きを読む)